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「女性はもっとサボってもいい」川崎貴子さんに聞く、人生100年時代の走り方

「働く女性の成功・成長・幸せのサポート」を理念に掲げ、25歳で起業した川崎貴子さん。女性のキャリア支援から、恋愛、結婚まで、数多くの女性の人生に寄り添ってきた実績から「女性マネジメントのプロ=女のプロ」の異名をとります。40歳で2人目の子供を出産し、子育てと3社の経営を両立するという多忙な日々の中、44歳のときに乳がんに罹患。右乳房の全摘出を決断しました。
起業、結婚、出産、離婚、再婚、そして乳がん。数々の波を乗り越えてきた川崎さんに、ILACY(アイラシイ)世代の女性が「長く走り続けるために必要なこと」についてお聞きします。

40代になった途端、「ステージが変わった」と感じた

――40代に入ると、急に気力や体力の衰えを感じる女性も多いようです。川崎さんは、30代から40代になったとき、何か変化を感じましたか?

川崎貴子さん(以下、川崎) :私の場合は、40代になった途端、「憑き物が落ちた」と感じました。というのも、私の30代は暗黒時代だったからです。仕事ではリーマン・ショックの煽りをもろに受けて、12年続けてきた会社が倒産寸前まで追い込まれました。プライベートでは、離婚後も不況を支えてくれた元夫が、原因不明の突然死。何かある度に「ここが底だ」と思って堪えていましたが、二番底、三番底が容赦なくやってくるような状態だったんです。

ジリ貧の最中でしたが、39歳で妊娠し、40歳になったと同時に次女を出産。それ以降、やることなすことうまくいくようになりました。30代は、会う人会う人、盗人のような感じでしたが、40代では学びを得られる友人や、次の仕事につながるような相手と知り合う機会も増えましたね。



――人生が好転したんですね。

川崎 :ステージが変わっちゃったかも...と思うくらいでした。あまりに楽しくて、40代ということを忘れて、アドレナリン全開で仕事に没頭。「もっと休め」という自分の体の声を無視して、全力疾走していた44歳のときに、乳がんの告知を受けたんです。

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40代になった途端「憑き物が落ちた」と話す川崎さん



子供たちの次の誕生日を祝えないかもしれない

――川崎さんの乳がんは、どのようなタイプだったのでしょうか?

川崎 :私の乳がんは、「小葉がん」という特殊なタイプでした。このがんは、乳腺に沿って葉っぱのように広がるため、手術してみないと、がんのステージも、サイズも、リンパへの転移があるかどうかもわからなかったんです。

手術をするまでは、余命も判断できないという状況で...。乳がんの告知を受けたのは10月でしたが、2人の娘がそれぞれ2月生まれと3月生まれなので「あの子たちの次の誕生日まで生きられるかな」という不安も頭をかすめました。



――乳がん告知からの8ヵ月の日々をつづった「我がおっぱいに未練なし」(大和書房)には、乳がんの告知を受けた後、すぐに「乳がんプロジェクト」と名付けて気分を切り替えたと書かれていました。プロジェクトととらえたことによって、どんなメリットがありましたか?

川崎 :がんという言葉は、やはりインパクトが大きいものです。その言葉の重さに押しつぶされてしまう人って、結構多いと思うんですよ。私の場合は、プロジェクトだと思うことで、治療方法や生存率を、冷静に調べて判断することができました。

がんの治療に対しては、さまざまな考え方があります。どの考えも否定はしませんが、私個人としては「このステージの100人に対して、95人に効きました」というようなエビデンスを重視したい。そうした治療を受けるのが、家族や社員など、自分に関わってくれる人に対しての誠意だと考えたんです。

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乳がん告知からの8ヵ月をつづった「我がおっぱいに未練なし」(大和書房)



――乳房を摘出することによって、喪失感を覚える女性もいるという話をよく聞きます。川崎さんは、そのような気持ちになりませんでしたか?

川崎 :手術跡がえぐり取られたような形状だったら、喪失感を覚えたかもしれません。でも、私が手術を受けた病院では、外科手術と同時に一次再建を行ってくれたんです。だから、喪失感はありませんでした。むしろ「おお、ニューおっぱい!」という感じ(笑)。膨らみを感じられたので、落ち込まずに済んだんですよね。



本当にやりたい仕事は何だろう?

――手術から1年半が経ちますが、その間に何か新しく始めたことはありますか?

川崎 :乳がんになってから、「私のほかに適任者がいる」「これは社員に任せたほうがいい」など、仕事を整理し直しました。その上で、「私が本当にやりたい仕事って何だろう?」と考えたんです。思い浮かんだのが、家族と過ごすかけがえない日常を、形として残す事業でした。そこで、私が取締役を務めるベランダ株式会社という会社で、フォトスタジオ「コノジ」を立ち上げることにしました。

コノジでは、撮影を通して「家族の絆を深める」ことをテーマに掲げています。コノジの強みは、運営会社の社長、副社長が多数の受賞歴を持つコピーライターであること。そうした強みを活かして、家族の思いをヒアリングし、世界にひとつだけの家族の本を作るプランをご用意しています。

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世界にひとつだけの川崎家の本。乳がんの手術後、夫と2人の娘といっしょに撮影



――川崎さんは、現在46歳ですが、人生が100年続くと考えると、まだ折り返し地点にもきていないかもしれませんよね。長い人生を走り続けるために、何か心掛けていることはありますか?

川崎 :楽しく仕事をして、きちんとサボることですね。これまで、数多の女性たちをマネジメントしてきて思うのは、真面目で一生懸命な人が多いということです。その半面、目先のことで一杯一杯になってしまっている人が多いとも感じています。

女性たちは、目の前のことをもっとサボってもいい。その代わり、サボって余った時間は、未来の自分のために使うことをおすすめします。野菜づくりでも、編み物でも、英会話でもOK。趣味で終わらせるのではなく、「将来はこれで食べられるかもしれない」という視点で、チャレンジすることが必要ではないかと思います。



――最後に、川崎さんご自身が「自分を愛おしむため」に行っていることを教えてください。

川崎 :私が日々心掛けているのは、自分のことを「つまらない女だな」と思わないように動くことです。執筆でも講演でも、適当にこなしてしまいそうなときは、自分で自分にダメ出しをして「今の私は粋じゃないよ」とジャッジするようにしています。

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「自分をつまらない女と思わないように、日々動いています」(川崎さん)



乳がんを経験してから、自分の時間は有限だと実感することが多くなりました。もういい大人なので、「これをやりたい」と衝動で動くのではなく、自分がすべきことを冷静に見極めていきたいですね。それは、これからアラフィフを迎えるにあたって、私がチャレンジすべき課題のひとつだと思っています。



<プロフィール>

川崎貴子(かわさき・たかこ)

1972年生まれ。埼玉県出身。1997年に、働く女性をサポートするための人材コンサルティング会社、株式会社ジョヤンテを設立。女性に特化した人材紹介業、教育事業、女性活用コンサルティング事業を展開。女性誌での執筆活動や講演も多数。2018年3月、フォトスタジオ コノジをオープン。著書に「愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。」(ベストセラーズ)、「結婚したい女子のための ハンティング・レッスン」(総合法令出版)、「私たちが仕事をやめてはいけない57の理由」(大和書房)、「我がおっぱいに未練なし」(同)など。



(取材・文:佐藤由衣/写真:西田優太/撮影場所:フォトスタジオ コノジ)

※掲載している情報は、記事公開時点のものです。
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