輝く人

「マイナスからスタートしたから今がある」振付家・山田うんさんに聞く、自分の体との向き合い方

中学生のときに関節リウマチを発症し、体の痛みと付き合いながら踊ることを続けてきた、振付家/ダンサーの山田うんさん。2002年にダンスカンパニー「Co.山田うん」を設立して以降、新しい身体表現を模索し続け、海外でも高い評価を受けています。

「恵まれた体も環境も何ひとつないマイナスの状態から、踊ることを始めた」と話す山田さんに、自身の体との向き合い方についてお聞きしました。

「体を使った表現」がしっくりきた

――ダンスを始めたきっかけについて教えてください。

山田うんさん(以下、山田) :踊る楽しさに初めてふれたのは、7歳のときです。民謡に合わせて踊る会に参加したのがきっかけでした。体を動かすのは大好きだけど、あまり口を開かない性格だったので「言葉じゃなく、体で表現する方法があるんだ」と、すごくしっくりきたんですよね。地元の民謡のクラブで練習していたときに、同じ体育館で器械体操を見て、次は器械体操のクラブに入りました。



――器械体操に惹かれたのはなぜですか?

山田 :空中で舞う姿が、踊りよりも自由に見えたんです。実際は勝負の世界なので、自由とは言っていられませんでしたが(笑)。同時期にスイミングスクールにも通い始め、練習していたのは国際試合に出る選手を育成するコースでした。でも、成長期に差しかかったときに、「水泳か器械体操か選択したほうがいい」とコーチに言われたんです。水の運動と陸の運動では、使う筋肉や理想の体格が違うから、しぼったほうがいいと。

amc_yamadaun2.jpg

「子供のころは、踊りと体操との違いがわかっていませんでした」(山田さん)



――どちらを選んだんですか?

山田 :迷っていたときに、交通事故に遭って、両方できなくなりました。それから運動をしない時期がしばらく続きましたね。その後、中学1年生になったときに関節に痛みを感じるようになりました。最初は「成長痛かな」と思っていたんですが、いつまで経っても痛みが引かない。変だと思い病院に行ったら、関節リウマチと診断を受けて...。

関節リウマチは自己免疫疾患のひとつで、関節が破壊されて変形していく病気です。じっとしていても痛いので、運動などもってのほかでしたが、動かさないとどんどん関節が固まって次第に変形し、動かなくなってしまうんです。痛くても可能な限り積極的に動いたほうがいいということで、主治医の先生が「踊りで体のリハビリを始めてみては?」とアドバイスをくださいました。そうして、モダンバレエの世界に足を踏み入れ、本格的に踊りを始めることになったんです。

ニューヨークでは解決できなかった人生の問い

――当時からダンサーになろうと考えていたんでしょうか?

山田 :まったく考えていませんでした。意外だと言われるんですが、大学を卒業した後は、証券会社で働いていたんですよ。違和感がありながら働き続け、4年目に退職。その次の日に、ニューヨークへ向かいました。



――ニューヨークではどのような生活を?

山田 :朝から晩までレッスンに行ったり、劇場に通ったりするなど、会社員のときは味わえなかった新鮮な毎日を過ごしました。人生を俯瞰すれば、すばらしい時間だったと思います。でも、「ここで根を張ってやっていきたい」と思えるほどの情熱を持てなかったのも事実でした。

ニューヨークにちょっと行ったところで、踊りとか社会とか人生に対して私が感じていた疑問は、何ひとつ解決しなかったし、踊りや振付け、プロデュースすることについても「日本の文化をもっと活かしたクリエイティブな思考と肉体を持って活動したい」と痛感して、帰国しました。

amc_yamadaun4.jpg

「ニューヨークに行っても疑問は疑問のままだった」と話すと山田さん



――ニューヨークにいるあいだ、病気とはどのように付き合っていたのでしょうか?

山田 :関節リウマチを進行させないために、当時は注射を打ったり薬を飲んだりする治療を、定期的に続けなければなりませんでした。でも、そのころの私は病院に行かず、勝手に治療をやめてしまっていました。そうしたら、症状がものすごく悪化してしまって...。

ニューヨークから戻り、数年ぶりに病院に行ったら、主治医に怒られましたね。化学療法は、一度やめてしまうと効果が薄れるんです。もし治療を再開するなら、以前より多い量の薬を投与しなければならず、効果が出るまでに時間がかかると言われました。でも、動けなくなってしまうのは困るので、治療を再開することを決めました。

30代後半で更年期と同じ症状を経験

――ILACY(アイラシイ)は女性の体の悩みをケアするサイトですが、女性たちの声を聞くと、特に「生理痛が重い」「生理が不順」など、生理に悩んでいる人が多いようです。振付家やダンサーとして、体を動かす機会が多くあると思いますが、生理とはどのように付き合ってきましたか?

山田 :私は幸いなことに、生理が楽なほうだと思うんです。生理痛がひどくて動けなくなったり、生理周期が不順になったりしたことは、あまりありません。ただ、生理になると骨盤が開いて、体の重心が少し下がるんですよ。そうすると、股関節や腹筋も使いづらくなって、踊りにくくなるんですね。

ダンサーとしては、生理で血が出ることよりも骨盤の状態が気になるんですけれども、何十年も自分の体と付き合ってきたので、今はうまく対応することができます。生理前は、「精神的にもイライラしやすい」「甘い物を食べたい」ものだと理性的にとらえて、ストイックになりすぎないように気を付けていますね。

IMG_0307.JPG

――毎日体を動かしているからこそ、「重心が下がっている」と敏感に感じることができるんですね。現在48歳ということですが、更年期の症状は感じていますか?

山田 :関節リウマチは、甲状腺の病気を併発しやすいんです。私も36歳のときに甲状腺機能障害と甲状腺がんになって、手術をした後、3年間ほど更年期のような状態が続きました。つまり、更年期障害がどういうものかを、30代後半で経験したんです。



――更年期の症状は人によって変わりますよね。一番つらかった症状は?

山田 :体重が10kg近く増え、筋肉も落ち、顔つきも変わって、運動障害や言語障害になりました。でも一番つらかったのは、うつっぽくなったことです。やる気がなくなり、今心配しなくてもいいことが、やたら気になるようになりました。ほかにも、明日着ていく洋服を決められなかったり、家を出る時間が逆算できず電車に乗り遅れたり...。

こうした症状を自覚してから、いろいろ調べて、ホルモンのバランスが変わることにより、思考と運動機能との連携がうまくできなくなることを初めて知ったんです。ホルモンの変化は、動物なら必ず起こる現象。「自然なことなんだ」「別にたいしたことないじゃない」と考えられるようになり、乗り越えることができましたね。



――年齢を重ねたことで、踊りづらくなったと感じることはありますか?

山田 :年を重ねたことで「筋力がなくなってきた」「体力がなくなってきた」と言う方は多いですよね。でも私は、元々体を動かすことがつらいというマイナスの状態から踊りを始めているので、そうした衰えを感じたことがないんです。そういう意味では、すごく得をしているのかもしれません(笑)。

むしろ、病気を発症した中学生のころのほうが、今より疲れていました。起き上がれないし、手の指から足の指まで全身の関節が痛いという毎日でしたから。自由の利かない体と向き合ってきたことで、あのころよりも元気で若々しい肉体を手に入れることができた気がしています。

amc_yamadaun7.jpg

「マイナスからスタートした分、得しているのかも(笑)」(山田さん)

踊りと向き合っている時間が愛おしい

――山田さんは、踊りを経験したことのない子供や高齢者、障害者を対象にしたワークショップなども積極的に行われていますよね。踊ってもらうために、どんな工夫をしていますか?

山田 :「こんな仕掛けを持ってきたよ。さあ、踊ってみよう!」と、こちらが準備したことだけには頼りません。「はじめまして」の挨拶から、どんなたたずまいや振る舞いが皆さんを解放していくか、その場で自分のセンスを最大限に使って工夫します。音楽をかけてみたり、音楽も言葉も何もなしに踊るようにおじぎをしてみたりするなど、「気付いたらいっしょに踊っていた」という体験を、その場にいる皆で立ち上げていくことを大事にしています。

恥ずかしくてうまく踊れないと躊躇している人には、心の中で「そりゃそうよね」とその人の恥ずかしさを受け止めます。そして見て見ぬ振りをして、私はワークショップを進めていきます。相手を無理に変えようとせず、私自身をもっと解放していきます。そうすると、戸惑っていた人の状況は変わっていきます。それは、子供でも大人でも同じです。

DICTEE塚田S-0064.jpg

(撮影:Yoichi Tsukada)



――新しい挑戦をすることに臆病になってしまう人も多いですが、自分の枷(かせ)を外してみたいと感じているなら、ぜひワークショップに参加してほしいですね。最後に、山田さんご自身が「自分を愛おしむ」ために行っていることを教えてください。

山田 :自分を愛おしいと感じるのは、踊りと向かい合っているときですね。踊りは私の仕事です。目の前に仕事が積み重なっていれば、痛みや悩みに気を取られている暇がないじゃないですか。それって、すごく幸せなことだと思うんですよ。学校でも家庭でも会社でも、目の前に仕事がある時間というのは、案外、軽やかに生きられる時間じゃないかなと思っています。



<プロフィール>

山田うん(やまだ・うん)

器械体操、バレエ、舞踏などを経験し、1995年渡米。1996年から振付家として活動。2000年、横浜ダンスコレクションのソロ×デュオコンペティションにおいて「若手振付家のための在日フランス大使館賞」を受賞し渡仏。2002年にダンスカンパニー「Co.山田うん」を設立。日本における稀少なコンテンポラリーダンスのカンパニーとして、意欲的に作品を発表している。2018年7月より、ピアニスト/アーティストの向井山朋子氏とコラボした新作「雅歌」の日本ツアーを行い、好評を博す。



(取材・文:佐藤由衣/写真:西田優太)

※掲載している情報は、記事公開時点のものです。
輝く人
この記事をシェアする

この記事は、働く女性の医療メディア
ILACY(アイラシイ)の提供です。

“おすすめ記事recommended

CATEGORYカテゴリー